結局やりたい人とやればいい。
地元のサッカークラブでの初蹴りに参加。兄貴がやってたのでとりあえずサッカーを始めて、かれこれもう20年。
そっから自分はスペイン語につながったし、違うスポーツやってたら今の自分は無いなって思う。サッカーやっててよかった。 pic.twitter.com/ffl92wMkqU
— あき@スペイン語圏中毒 (@lyonxyloto) January 3, 2020
先日、地元のサッカークラブの初蹴りに参加した。
大人の部が午後となっていたのにも関わらず、コーチ陣を除けば、参加したOBは中学生3人と、僕と僕の先輩兄弟のたった6人だけだった。
元々きちんと集客できてないのが参加人数が圧倒的に少なかった理由でもあるのだが、告知しても返事すら返さない人は一定数いる。
参加する以前に返信することすらめんどくさいかもしれない。
先輩の1人はサッカー経験者が30人ほどいるようなライングループで月1回フットサルをする企画を立てるものの、毎回5人ほどしかレスポンスがなく、参加しない人たちに苛立っていたことが以前あったと聞いた。
僕の経験とリンクしたことがあった。
大学4年生の卒業旅行の際に南米旅行に一人で行った。本当は大学か地元の友人から誰か誘って男2人〜3人旅でもしてみたかった。
でも結局人は集まらず、周りが自分と同じ熱を持っていないことに苛立っていた。
でも「行きたい人がいなかったから行かないことにした。」なんてクソダサい理由で一生もんの後悔はしたくなかったので僕は旅に出た。すると、関西やら関東の大学の卒業旅行で来ている学生から社会人で旅をしている人と幅広く人に出会えた記憶が残っている。
要は自分の周りで同じ気持ちの人がいなくても行きたい“場所”に行けば、自分と同じような人がたくさんいる。
結局はそこなんだ。
「なんでみんな来ないんだよ!」と自分のつながりの友人たちが、自分が誘ったイベントや予定に来なかったからと言って悲観し、ストレスを溜める必要はない。
なら、行きたい”場所”にいる人たちと仲良くなって、その人たちと交友関係を持てばいい。
振り返れば、中学校のサッカー部でもそうだった。
セレクションを受けて、クラブチームに受かったのに親の意見に従ってしまい、「勉強もちゃんとやれ」ということで公立中学のサッカー部に進んだ。
よし、部活動から上を目指そうと思ったのに、入部してきた部員はソックスすらまともに履かず、くるぶしソックスで登場するやつもいて熱量の違いに大いに絶望した。
当時プロサッカー選手を目指していたので緊張感を持って練習に取り組むのはもちろんだったし、自主練なんて当たり前のようにやることが自分にとっては普通だった。でもみんながみんなそうじゃない。
なので当時、おはスタで人気のクーバーコーチングサッカースクールに入り、部活の不足を補うことにした。
サッカースクールに入れば、意識の高い選手しかいないので毎回とても刺激的だったを覚えている。環境を変えればいい。
僕が強く関心のあるスペイン語交流会も同じ。誰かと行こうと思って誰もノッてくれなくても一人で行ってみる。行きたいのに行かない、やりたいのにやらない判断が一番後悔を生む。
僕は南米の旅から自分の気持ちに素直に行動することにしている。行きたいならいくし、やりたいならやる。興味のない誘いは断る。
一人で殻を破って参加した先に同じような気持ちで参加する人が必ずいる。
行ってみてつまらなかったら二度と行かなければいい。それだけだ。
おのずと年齢に関係なく共通の「好き」を通じて親しくなれる。いつまでも同じ年代、同期とばかりつるんでいては危険だ。どこにも行けない。
サッカー好きにとっては「個人フットサル」通称、個サルは非常にありがたいシステムだ。昔はフットサルをするのに10人集めないとフットサルがやれなかったのに今や自分が行く行かないの判断だけだ。(まれに人数不足で開催できないといったことがあるが、それはまれだ。)
一回でもいけば、毎回来てるようなフットサルオタクみたいな人と知り合ってしまえば、コアな仲間うちでやっているような試合にも参加することもできる。
旧来の友人の重い腰を上げるエネルギーなんか捨ててさっさと、自分と同じバイブスの仲間とつるんでしまえば、それで解決だ。
結局のところ、相手は自分では変えられない。変えられるのは自分だけ。
環境を変えるしかない。
ふと正月から改めて環境の大切さを再認識した。