Hola!!あき(@lyonxyloto)です。
今から5年も前になるんですが、
ホームステイでのスペイン留学が必ずしも順風満帆ではなかった
現実、体験談を共有しようと思います。
今でも記憶が鮮明です。
それはスペインとスペイン語が大好きだから。
今となっては、もはやネタです。
語学に関心がある人は
ホームステイ=毎日ネイティブと触れられる
=会話力が上達しやすい
こんな風に考えている人は多いと思います。
しかし、実際どんな家族と過ごすのかですし、本人がどう過ごすのかによって
語学の上達は分かれます。
この記事の目次
スペイン留学
僕はスペインのサラゴサで4ヶ月間、
スペイン語を学ぶために大学2年生の時に留学しました。
サラゴサについてはこちらの記事で紹介しています!
大学受験に失敗し、附属大学に進学することになり、
そこで興味を持った第二言語。
フランス語やドイツ語とも迷ったんですが、サッカーと南米にも興味があったため、
スペイン語を選択。
スペイン語留学できる学部があったので留学のために国際教養学部という学部に
入学したようなもんです。
僕の大学が設ける留学プログラムは団体留学で各生徒ホームステイ。
どの家族になるかはランダムという設定でした。
どのホストファミリーと過ごすのかは運でしかない。
結果、、、
僕は70歳のおばあちゃん一人と共同生活することになりました。
留学前からモチベーションがガタ落ち。
なぜなら、夫婦に子どもが2人くらいいる家族を勝手に想像していたからです。
実際大学1年のときにはニュージーランドで夫婦円満で可愛い子どもたちが
ホストファミリーだったので余計にです。
心の中ではそうつぶやいていました。
いざ、留学開始!!
バルセロナ空港から留学先のサラゴサへバス移動。
提携先のサラゴサ大学に留学することになっていました。
大学へ着き、バスから降りると各ホームステイの家族が
生徒を迎えてくれます。
しかし、僕がお世話になるおばあちゃんはいませんでした。
どうやらからだが悪いので家で待機しているらしく、僕はいきなりホームステイ先を探しに
事前に知った住所へ大学から徒歩で重いスーツケースとともに向かうのでした。
留学初日のミッションはまず滞在先は自分で探せ!バックパッカーみたいでした。
滞在先へ到着!おばあちゃんと合流
道で歩いている人に何回も聞いてようやく滞在先のマンションへ到着。
マンションはスペインでいう2階に住んでいました。
つまり、スペインではPlanta baja(地下)が1階なので実質おばあちゃん家は3階に相当する。
スペインのマンションの仕組みすら何も知りません。間違いながらもなんとか家に無事着いて安心しました。
そして玄関が開くとおばあちゃんは家から出てきて抱擁してくれました。
スペインのドスベソス(挨拶に2回相手の頰にキスをする。)もここで学びます。
マンションの部屋は3LDKで結構広く感じました。
熱心なキリスト教徒の家でザビエルみたいな絵もあればマリア像や天使のおきものがたくさんありました。
僕は6畳くらいの一部屋を使うことに。
ここでは問題はありません。
ホームステイスタート
お金
生活して1週間目でお金でもめました。
ホームステイ代です。
ホームステイには滞在費として月6万の費用がかかることになっていました。
6万は光熱費、食事、洗濯もろもろ全て含みます。
これは出発前に4ヶ月分まとめてサラゴサ大学へ振り込んだので僕に非はありません。
サラゴサ大学が速やかに各家庭にホームステイ代を払っておらず、
と滞在3日目から毎日言われました。
こんな返しばかり僕はしていました。
インターネット回線
wifiについて尋ねたんですが、あることはあるらしく、
どうやら娘夫婦がおばあちゃんのためにネット回線を引いたらしい。
wifiパスワードがわからなくて騒ぎ立てていました。
娘夫婦が回線をつないでくれたのだが本人はモデム機がどこにあるのかや
パスワードがどこに載っているかもわからない。
モデム機を見つけると即座に電話をかけ、
パスワードを聞くおばあちゃん。電話の声は本当にでかかった。
結局、僕が実家のモデム機を思い出し、機器の裏に書いてあることを見つけたのでした。ふぅ。
シャンプー、洗濯問題
シャンプー、ボティソープが何種類か浴槽にあったのでテキトーに選んで使っていたら
「こっちを使ってよ!」
と注意を受けました。
シャンプー、ボティソープにおばあちゃんと僕の区別があるなんてわかるわけがないです。
滞在費をちゃんと払っているのに。
それと、スペイン人は毎日洗濯しないってことをこの時初めて知りました。
湯船にも基本は浸からないですね。
3日おきとか、何日分かまとめてするのだそう。
僕は洗濯問題は許容範囲でした。
しかし、シャンプー、ボディソープを区別されるのは納得がいっていませんでした。
なんだか差別されている感じ。
冷蔵庫
ジュースまで区別させられました。
なんとFANTAはおばあちゃん用で現地ブランドの炭酸が僕用だと言うのです。
これには頭にきたので自分でFANTAを買い、
キャップにAKIRAと名前を買いて冷蔵庫にしまいました。
滞在費を払っておきながらFANTAも飲めないなんてありえない、、
もはや差別に近い。このときからおばあちゃんが嫌いになりました。
長電話
スペイン人の年寄りは歳を重ねると寂しいのか、毎日長電話していています。
街を歩いて、ふと上を見上げると
ベランダ越しで子機や携帯電話を持ちながら話している人をちょくちょく見かけます。
うちのおばあちゃんがまさにそうでした。娘相手とかだと軽く2時間は越えていました。
午前授業が12時で終わり、シエスタを挟んで一旦学校から家に戻ってくる時、
昼飯は作り置きになっていていてひたすら電話でベラベラ喋っています。
夜もそう。テレビを見ていても電話が鳴れば、長々と話出すし、自分から長電話をかけたりもしていました。
1人暮らし絶対寂しそうやん。。
僕が描いていた
ホームステイ=家でネイティブと
たくさん話せるというイメージとは全く異なっていました。
おばあちゃんが入院する
なんとホストだったおばあちゃんが急遽入院することになりました。
僕を受け入れる前からお腹を切開したとかなんとかで持病を持っていました。
病名は聞いていないので知らないです。
週末に娘夫婦が昼ごはんにパエリアを作りに来てくれることがあって
ある時、娘(40代くらい)がこんな話をおばあちゃんしていたのを聞きました。
「からだ悪かったんじゃないの?」
おばあちゃんは話を聞くと過去20年間、中国や韓国、日本の学生を中心にホームステイの留学生を受け入れてきており、
僕が今年で最後だという。
娘は僕がホームステイすることにあまり快く思っていないようでした。
その後10月になって、急におばあちゃんから
と言い出したのです。
体が悪いとは知っていたので薄々感じてのことでした。
スペインでも有名なサラゴサのピラール祭が始まる10月第2週目に言われたのですが、
僕は約1週間、イタリアとフランスに小旅行することになっていたので
とりあえず、旅行後におばあちゃんの診察結果を聞くことにしました。
僕はすぐさま日本の大学にメールして、
「ホームステイ先が変わるかもしれない」と伝えました。
僕は今度はどんな家庭と過ごすことになるのか、、
おばあちゃんの具合も少しは気にしていてすごく不安な小旅行だったのを覚えています。
サラゴサに帰国後、おばあちゃんの結果を本人から聞きます。
「でも私は1ヶ月入院しなくてはならない。」
すごく複雑でした。
家族の団欒もないからホームステイを変えようか、
でもおばあちゃんは入院する。
迷ったが、ホームステイは変えないことにしました。
なぜなら学校はかなり近かったし、セントロ(街の中心部)へも歩いていけます。
マンションの下はスーパーがあり、生活する上では立地に恵まれていたからです。
そこから1ヶ月間、毎日娘が僕の昼飯、夜飯を作り置きにして
一人暮らしが始まりました。
家に帰っても真っ暗。
「おかえり」「ただいま」のやりとりさえない。
何度も自問自答しました。
おばあちゃんの一件から、語学力の上達を家庭の団欒に求めるのではダメだと考えました。
外に出まくってスペインの友達を増やせばいい。
そう切り替えることにしました。
そこから週2〜4でバル、クラブに行きまくりました。
僕はお酒は特別強くないけど、とりあえず、スペイン語ネイティブと絡みたい、その一心だった。せっかくスペインにいるんですから。
団体留学で一緒だった学部の友人と宿題をこなしてシエスタして
「はい、23時 or 0時集合!!」
みたいな感じで外に繰り出し続けました。
そのおかげで少しづつ、現地の友人ができるようになりました。
毎週のように同じバルやクラブに通えば、当然、前会ったことある人が増えてきます。
そこで何度も顔を合わせれば、「今度、ウチで誕生日会やるんだけど、よかったら来ない??」
という流れができます。
その連続でした。
おばあちゃん退院、でもまた一人暮らし
11月始め、おばあちゃんが退院することになりました。
その間1回もお見舞いには行っていません。
単純に当時、スペインの携帯を持っていたが、
折りたたみのしょぼい携帯で、メールの使い方もわからなくて
なおかつ、娘夫婦の連絡先を知らなかったこと、
どこの病院なのか知らされていなかったので行かなかった。
というか行けなかった。
まあ、ひどい扱いされているホストの元に会いに行きたいとは思わないですよね。
おばあちゃんはいつも通りの生活に戻りました。
相変わらす、ひたすら長電話とテレビ視聴の連続。
特に9月と状況は変わっていない。
ある時、部屋にいた僕をおばあちゃんが呼び出した。
またおばあちゃんかと思いました。
今度は違う。娘でした。
娘の小脳に腫瘍ができたというのです。
今度は娘が1ヶ月入院することになりました。
それでおばあちゃんは心配だからつきっきりになるという。
朝から晩までずっと病院におばあちゃんは張り付くようになりました。
また僕のご飯は昼と夜の分を一気に作って、台所に作り置きです。
10月同様におばあちゃんと会話することが全くなくなりました。
俄然、僕は夜に繰り出し続けます。
おばあちゃんは22時か23時に帰宅してきます、
僕は深夜、朝方に帰る生活。当然生活リズムが違いますね。
僕は楽しかった。どんどん友達が増えるし、
Facebookを通してどんどんパーティに誘われ、参加して、また次のパーティへ行き、ネイティブとはしゃぐ。
今の僕のスペイン語会話力はこの頃の夜への”繰り出し”によって
培われたと言っても過言ではないです。
だってたくさん友達がいるし、クラブやバルにいけば、知り合いが必ずいる環境。
当然スペイン語を使う機会がたくさんあるわけです。
こうして12月におばあちゃんが戻ってきても僕は徘徊することをやめませんでした。
帰国直前
僕は、結局あんまり自分のホスト(おばあちゃん)を好きになれませんでした。
12月におばあちゃんから「夫のお墓に行く?」と誘われたけど、行く気にならなかったし、
その日はバレンシアへ小旅行を入れていたので断りました。
ひどい対応をしたかもしれない。
休日も家にいても全然面白くなかったから
基本的に週末はほぼ小旅行(バルセロナやマドリードへ)を入れて
極力家にいないようにしていました。
でも帰国直前はなんだかんだボロボロ泣いてしまいました。
おばあちゃんはからだが悪いので見送るサラゴサ大学までいけない。
タクシー代だけ渡されて、マンションのエントランスで別れを告げる時はボロボロ泣きました。
サラゴサ大学の駐車場には帰国の便へ向かうバルセロナ行きのバスが到着しており、
他の生徒のホストファミリーがたくさん詰めかけていました。
僕もこんな風に見送られたかった。
僕のホストだけ、この場にはいない。
あんなにホストのことを嫌っていたのにずっと涙が止まらなかった。
なぜだろう。
からだが悪いのに僕を受け入れてくれたことに対して?
自分があまり思いやりを持って接していなかったことに対しての後悔?
もっとおばあちゃんとの時間を大切にすればよかったのか?
正直どうすればよかったのかわからなかった。
振り返って
僕のホームステイはかなりの逆境でした。
仮に僕のホームステイ先に夫婦と子供がいて毎日美味しいご飯を作ってくれる、
毎日が家族の団欒がある家庭。
こんな家庭だったら頻繁には夜遊びしなかったと思います。
家に帰るのが楽しみになっただろうと。
でも僕は違いました。留学のほぼ大半は一人暮らし。
だからこそ、いかに現地のネイティブと繋がりを持ち、スペイン語を上達ができるかしか考えてなかった。
結果、4ヶ月でかなり友人ができました。
今も連絡を取り合える友人がいるし、
またサラゴサに帰っても会える”環境”があります。
たった4ヶ月間だったけど、逆境を楽しめた留学でした。
これから留学を考えている人でホームステイの家族構成を選べる留学なら少しはいいかもしれませんが、
選べず、どの家族と過ごすかわからない人は
ホームステイしたら語学が上達できるという感覚は取り去った方がいいと思います。
仮に自分と合わないホームステイに遭遇した時にどう過ごすのか次第で留学生活がよくも悪くもなるからです。
おばあちゃんに改めて今言えるのはスペインでの”ホーム”という居場所を提供してくれたこと、からだが悪いのにもかかわらず僕を受け入れてくれたこと感謝したい。
スペインでたくさん巡り会えた現地の友人たちに感謝したい。
Muchas gracias!!
では!