実兄と10年間口を利かなかったけどヨリを戻した件

兄と10年間口を利かなかった僕がヨリを戻した件
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こんにちは。メキシコから情報発信しているあき(@lyonxyloto)です。

メキシコに来る前に兄と10年ぶりにヨリを戻しました。

祖父の体調が良くなく入院することになったので
急遽、家族が実家に集まったこと、
兄の結婚式が僕が日本を離れる前にあったからです。

兄弟として生まれながら、
子供のときに10年兄弟と接していないなんて
僕はかなり変わった育ち方をしたのかもしれません。

もし、あなたが兄弟や姉妹と
長年、口を利いていないのなら僕の体験談を
読んでみてください。

きっかけは些細なことで起きた

兄と口を利かなくなったのは中学2年のときです。

僕はサッカー部で3年生が引退をかけた夏の大会
市大会2回戦。
僕はメンバーに入っていたので当然出場する気マンマンでした。

試合前に自宅で朝食をとっていたときのこと。
兄が冷蔵庫からなにやらものを取り出しながら、
「お前今日の試合負けるんじゃね?」
と軽々しく冗談を口にしました。

僕は「そんなことはねーわ。今日も勝つ。」
と食事しながら反射的に言い返していました。

僕は試合スタメンから漏れ、
ベンチで試合を見つめることになりました。

試合は2−2での後半、決定機を防ぐために
自分のチームのゴールキーパーがファウルを犯し、一発退場。

これで数的不利になり、この試合で負けてしまったのです。
兄と10年間口を利かなかった僕がヨリを戻した件
僕は後半から兄の何気なく放った言葉が
頭をよぎってしまっていました。

「なんであいつあんなこと言ったんや。」
「そんなこと言わんかったら”負ける”とか考えんかったのに」

試合後、うなだれる出場メンバーを見ながら、
僕も号泣し、兄に対して憤りを覚えました。

その試合の帰宅後から
兄と口を利かなくなった
のです。

兄が何気なく言った言葉が
現実として起こってしまったからです。

今考えるとしょーもなくて
すごい恥ずかしいことです。

でも中学2年の僕は生活にサッカーしかなくて
それが一つ区切りつくことに
かなりのショックと虚しさがあったわけです。

僕が通っていたような公立中学でのサッカー部は
季節によって部活の時間が決められており、
練習時間もクラブチームみたいにあまりありません。

毎日、日が暮れるまでボールを蹴っていた僕にとっては
悔しくて悔しくて
「もう中2の夏が終わるのかよ。。」とボロボロ泣いていました。

いつの間にか経ってしまった空白の10年

その日から兄とは目も顔を合わせることなく
生活するようになりました。

「兄のせいで負けたんだ」とも思っていました。

中学3年も兄とは口を利いていません。

そして高校進学。
兄には相談せず、自分で進路を決めました。
もっと強い高校でサッカーがしたかったので
中京大中京高校に入学しました。

その頃から兄と僕は生活がすれ違いになっていきました。
僕は部活で帰りが遅いし、休日も試合があって家にいない。
兄は大学のアルバイトやサークルで同じく家にいない。

顔すら合わせなくなりました。

もうなんで兄と口を利いていないのかさえ、
わかならくなってしまっていました。

”しゃべらない”ことが普通になっていたからです。

そして大学進学。
この4年間も利いていません。

兄が就職したのと僕がアルバイトをやっていたため、
生活リズムが異なり、
家で見かけることがあっても決して会話はしませんでした。

この間、兄と僕のお互いの要求や伝言は母経由でした。
この僕の大学時代もそう、”しゃべらない”ことが普通でした。

僕は大学卒業後、東京へ就職。
兄は愛知で働いているので就職後は
物理的に離れ離れとなっていきました。

スマホが世間一般となっても
僕は兄の電話番号やライン、フェイスブックのアカウントは知りませんでした。

中学3年から僕は携帯を持ちましたが、
そのまま口を利かずに年月が経ってしまったので
連絡の取りようもなかったわけです。

ヨリを戻したワケ

口を利かなくなって8年目くらいから
そもそも兄弟ってなんだろう、考えるようになりました。
大学4年のときでした。

それと同時に両親からも
「お前らいつまで口を利かないんだ?」と
言われるようになっていきました。

兄弟のいる友人やその兄や姉、妹と接していくうちに
「おれって一人っ子で生まれた訳ではないよな?
でも関わってないな」と自問自答していました。

僕には兄より4つ上の姉もいますが
姉は19歳で家出しているので
会う機会がほとんどありません。

口を利いていない訳ではないので
実家に来たときは話します。

しかし、兄とは接することなく、
僕は中学〜社会人と来てしまったので
一人っ子みたいに生きてきたと言っても過言ではありません。

10年間兄弟とは接していないので
兄弟喧嘩や相談ごととかもしていない訳です。

一般的な兄弟も持つ家庭からしたら異常ですね。
友人に話しても「ヨリ戻したほうがいいよ、だって兄弟やん?」
と言われるばかり。。

年を重ねるにつれ
いずれ兄弟が結婚したときに式に出ないのはマズいな、と思うようになりました。

8年目、9年目も話すことなく、10年目。
兄が結婚式を挙げると両親から聞く。
これは式の前にヨリを戻さなくてはと思いました。

そして「いつまでそんなん引きずってんの?」と自分に問いかけていた。

その年に祖父が倒れて病院に入院することになりました。

僕は実家に帰省して、
祖父が入院する病院へ向かう車内で
何気なく、兄に話しかけていました。

なにを最初に兄に話しかけたかは覚えてはいません。
でも祖父の体調を心配する中でふと兄に何かを話していたのです。

口を利かなくなった原因は彼は覚えていないだろうから
話さないことにしました。w

そこから僕は少しずつ兄と話すようになりました。
兄の結婚式は昨年の10月29日だったので
僕は当初10月初旬から行く予定だった
メキシコの日程を後ろ倒しにして結婚式に参加しました。

兄は僕に「そこまでしなくていいよ。」と
言いましたが、兄弟の結婚式なんて一生に一度かもしれません。

僕は絶対参加すると決めていました。

結婚式当日は大盛り上がりでした。

披露宴の再入場は急遽、僕が兄と一緒に入場することになって
詰めかけた参加者の前を歩くことができました。
兄と10年間口を利かなかった僕がヨリを戻した件
兄の仕事の帽子を勝手に被って登場しました。w

たくさんの人からフラッシュを浴びて、兄弟で手をつないで入場する、
こんな経験は兄弟がいなければ味わえないと感じました。

手をつなぐなんて何年ぶりだろう、小学生以来な気がする。
すっごく嬉しくて、嬉し涙が溢れ出しました。
兄と10年間口を利かなかった僕がヨリを戻した件

ヨリを戻して感じたこと

ヨリを戻した直後に「結婚式」という人生において
大きなイベントがあったからこそ
兄弟のいる暖かみや大切さを実感できました。

「メキシコ行く前に二人で飲みに行こう!」と誘われたけど、
あいにく出発前のスケジュールが埋まっていて
まだ”兄とのサシ飲み”は実現できていません。

結婚式、2次会では何度か会話したんだけれど、
深く話せてはいないので非常に楽しみにしています。

10年話せていなかった兄と二人で飲みに行ったらどうなるんだろう・・・?
中学のころ、高校のころ、大学のころ、社会人になった今、
決して一晩では語りきれない気がする。

何軒、飲み屋をハシゴするのだろう・・・・w

ブウァーーーーとその10年間のできごとや感じたことが
吹き出ると思う。

この10年の間は兄と全く関わりを持って来ませんでしたが
後悔はしていません。

高校や大学、就職の進路も自分で決めたし、
逆に変に兄弟の圧力や助言がなくて良かったとも思っています。

しかし、両親の気持ちになってみると
申し訳なかったとも思います。
自分の子供たちが仲良くせずに学生時代を過ごしてしまったので。

ほんとにほんとにささいなことで口を利かなくなったのだけど、
高校時代は恥ずかしくて、歩み寄ろうとしなかったんですよね。
変に意固地になってしまって。
思春期真っ只中だし。

その延長でどんどん月日が経ってしまっていました。

自分が子供を授かったとしたら
自分みたいなことはさせたくないですね。

じゃあヨリを戻して、SNSもつながっているかというとそうではありません。
メキシコ行く前に兄のラインを知りましたが、(←遅い)
僕は自分のSNSの”友達”やフォロワーに兄弟はいません。

SNSのタイムライン上に兄弟や親がいないので
「あ、兄がつぶやいているとか、近況報告している」っていう感覚はわかりません。
お互い浅い経歴しか知らず、よくわかっていないからこそ、
SNSでさらっと見るのではなく、
直接会って話したい。そう今は思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

aki

ブログ「ワクワク-WacWac-」を運営。 常にワクワクを求めて。 スペイン語圏の国が大好きです! 高校サッカー時代に過ごした部活から プロ選手が誕生したのを機に海外に興味が出る。 →英語ではなく、サッカーが盛んな国が多いスペイン語を選択。 大学時代にスペイン語とバックパッカーにハマり、 訪れた国は32か国。 オセアニア、中央アジア、中欧、西欧、南米を周遊。 メキシコ駐在経験やスペイン滞在、スペイン語情報を中心に発信しています。